2015年2月9日に亡くなった父のこと
父は、私益の争いごとを好まない、変なプライドがなく、自分が不満や、批判を引き受けることで、丸く収まるならばそれで良いというような考えの人でした。口癖は「電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも皆、僕のせい」でした。
けれども、ひとたび書店に対する理不尽な仕打ちに遭遇すると、燃え立つような正義感に火がつき、筋を曲げずに徹底的に闘う硬骨漢に変わりました。
亡くなる7年前、不公平な流通の仕組みを公正取引委員会へ直訴し、それが、大阪府書店商業組合から、日本書店商業組合連合会へと大きなうねりとなりました。そして、亡くなる一年前、公正取引委員会が、取次に忠告、大型店のように、返品すると同日入帳する(返品した分のお金を、月内に返すこと、それまでは、翌月にならないと返してもらえなかった。そのため資金繰りが悪く廃業する書店も多かった。) システムに近づくことができました。「どんなに本を愛していてもこのままでは日本中の小さな町の書店は全滅する」という危機感を常に語っていました。
2011年、「作家と読者の集い」をするにあたって、父から、どのような思いでするのか?
それを書くべきだと言われた時がありました。
その時の父の言葉を、今も大事にして受け継いでいます。
「書店の利益は、2割しかありません。その利益の中から依頼を受ければ自宅あるいは職場へ配達、他業種のように3割や4割の利益を得る商売と違い、店で働いてくれる人にも何かにつけておおきな負担をかけています。
それでも互いに頑張ってやっているのは、「本」というものが、一旦人間の心をとらえれば、その人の生き方や人生を変えてしまうような文化的価値を持つ商品であり、それを販売し広めることに意義が感じられるからです。
子どもたちに読書を広め、その読書力に貢献し、遠くまで行くことのできないお年寄りの読書の力添え、作家と読者への橋渡し、そしてその心の交流、出版をただ売れればいいという商業主義の餌食にすることなく出版を文化として作家を支え、読者が出版を育てる。この仲介者が、書店と考えています。手に取る「本」出版物を未来あるものにしたいというのが望みです。」
沿革
1949年 昭和24年 隆祥館書店創業 創業者 二村善明
1965年 昭和40年 借家だった建物を昼夜働き30歳までに買い取るという目標を実現
1967年 昭和42年 3階建てに建て替え1階で、書店を営業
1987年 昭和62年 株式会社 隆祥館書店に。 代表取締役 社長 二村尚子
1992年 平成 4年 9階建てのテナントビルに建て替え、1階で、書店を営業
1995年 平成 7年 隆祥館書店に、二村知子 入社
2011年 平成23年 Amazonや大型書店の攻勢を受け「作家と読者の集い」を開始
2015年 平成27年 2月9日 創業者 二村善明 死去
2015年 平成27年 「臨床心理士によるママと赤ちゃんのための集い場」を開始
2015年 平成27年 「作家と読者の集い」100回突破
2016年 平成28年 11月11日 代表取締役 社長 二村尚子死去
2017年 平成29年 代表取締役 社長に、二村知子 就任
2018年 平成30年 「作家と読者の集い」200回突破
2019年 平成31年 「臨床心理士による絵本選書」開始
2019年 令和 元年 コロナ禍に、遠方のお客様のリクエストから「一万円選書」開始
2022年 令和 4年 大阪府青少年健全育成優良店として大阪府から表彰される
2023年 令和 5年 4月「作家と読者の集い」300回突破
隆祥館書店のある大阪市中央区安堂寺町は、新人文学賞の直木賞に名前を残す直木三十五の出身地であり、その界隈は、平城京の飛鳥時代にさかのぼる長い伝統と歴史を持った町です。
上町台地という大阪でもいちばん海抜の高いところに位置し、古くから地盤があった上に、書き残された善明の言葉によれば「あの時代は戦後の混乱期で、誰もが自分たちはどう生きていくべきか、その知識を欲していて、そして、誰もがそれを本から求めようとしていた。一人一人が生きていくために本を必要とし、老いも若きも本を読んでいた」といいます。
詳しくは、木村元彦著「13坪の本屋の奇跡 闘いそしてつながる隆祥館書店の70年」(ころから発刊)をご覧ください。
創業70周年を迎えた大阪・谷六のわずか13坪の本屋「隆祥館書店」からいまの出版業界はどう見えるのか? ジャーナリスト木村元彦が、町の本屋の「闘い」を丹念に描きだす。
木村元彦(著)
ころから株式会社
1870円
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